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2010年 06月 25日
2010年 06月 25日
チェルフィッチュはバルセロナで公演中ですが、僕は帰国してます。
帰りの飛行機の中でクリント・イーストウッド「インビクタス」見た。泣いたけど、おもしろい映画とは思わなかった。僕が基本、スポーツ嫌いだからだろう。 だって、別に負けたっていいじゃん。 明日(まあ、もう今日なのだが)は手塚夏子さんの公演を見に行く予定。 エキサイトブログが、七月から広告が出ることになったらしくて、なんかイヤだからやめようと思います。 # by chelfitsch | 2010-06-25 00:36
2010年 06月 18日
きのう初日。内橋和久さん(いちおう説明。維新派の音楽とか手がけているミュージシャンですよ)が見に来てくれた。ウィーンにお住まいとは知らず。
ウィーンの観客は、「ヨーロッパ」てものをまだ、大理石みたく揺るぎないものって思ってるような度合いが、ブリュッセルとかベルリンと較べると、ずっと高い印象を受ける。 日本の中の東京や、アジアの中の日本も、あるいはこんなふうなのだろうか。ハプスブルク家っていつの話ですか? というのと、高度経済成長っていつの話ですか? というのと、基本的には、変わらないかもしれないのに。 もちろん、その中で、それだとマズいだろうとか、それだとかっこわるいだろうというセンスも、存在している。挑発としてのアートも、機能しやすいだろう(つまり、そうしたものは嫌悪感という正しいリアクションを得やすいだろう)。その辺が混じり合っているところが、ある意味じゃブリュッセルやベルリンよりもおもしろいとも、まあ、言える。 終わってる場所で、終わってるっていう認識を感染させてくプロセスというのは、おもしろくなる可能性高いだろう。 そんなふうに考えて、ウィーンにシンパシーを感じようと努力している自分がいる。逆にいうと、そうしないとどうにも、、、ということなのだけど。 でも、居心地のいいカフェとか、かわいい洋服屋さんとかもあって、いい街です!! # by chelfitsch | 2010-06-18 02:38
2010年 06月 12日
という町にいます。きのうまで公演してました。Festival THEATERFORMEN というフェス。今日はオフ。ブリュッセルでも見たペンソッティの芝居、ここのフェスでも一緒になったので、また見てしまった。
THEATERFORMEN の演目一覧 おそらくアフリカの年(1960年)から五十年、ということと関係しているんだろうけど、今年は僕らが行くフェスのプログラムに、アフリカの演目が比較的多い。この町で見た Boyzie Cekwana という人の Influx Controls という芝居は、指輪ホテルみたいな趣だった。 アフリカのことを考える機会ってもっとあっていいのではないか。その機会が、与えられていなさすぎなことは間違いない。何人か、アフリカのアーティストと話す機会があったけれど(みんな「ホットペッパー、、」見て面白がってくれていた)、アフリカとアジアとが、ヨーロッパ経由でではなくて直で関わりを持つ機会が増えるべきだと考えている人は多い。(そういう話をしているここはヨーロッパなんだけど、そのことをそんなに皮肉に感じることもなく、出会いの機会を提供してくれる場として利用するのは素直にいいことだよね) トーゴのアーティストがいろいろよくしてくれて、楽器をくれた。今ネットで調べたら、これはカリンバという名前だということになっている。だけど楽器の名前を聞いたとき、彼は、トーゴにはたくさんの言語があるんだけど自分の言語ではこれはチムーだと言っていたので、僕的にはチムーと呼ぶことにしようと思う。 # by chelfitsch | 2010-06-12 07:15
2010年 06月 03日
いろいろな場所で自分たちの作品を上演できるのは嬉しいけど旅は特に好きじゃない。おいしいもの食べることは好きだけどそれ以外の観光には興味持てない。集団行動も昔から苦手で修学旅行とかものすごく苦痛だった。
ツアーに来ると毎度のことだが思い知るのは、自分が演劇という表現形態は好きだけど、それがおのずと伴う諸条件がことごとく自分の適性ではないこと。 これまでの感覚的統計によれば僕はだいたい十日でツアーがいやになる。 そんななか読んでいるマリアーノ・ペンソッティの "The past is a grotesque animal" のテキストがとても心にしみる。出てくるのは人生にさまよう人たちばかり。こういう本をツアーの時はもってくるべきだなと痛感、こういう本、というのは、たとえばチェーザレ・パヴェーゼとか。 この本にはスペイン語と英語がどちらも載っている。僕でも読める英語だ。ちょうど「わたしたちは無傷な別人である」のテキストに似た簡潔な言葉で書かれているから。ふたりはどちらも1973年生まれ。こないだル・モンドに出たクンステンの劇評でも、同年生まれのふたりは同じ戦いをしていると書かれていた(たぶん)。 ちなみにこのお話、最後は主人公が日本に来るところで終わる。これがアルゼンチン人にとっては地球の真裏に来たことを意味するというのは、ヨーロッパのお客さんには伝わっているのかな?? # by chelfitsch | 2010-06-03 16:58
2010年 05月 31日
リスボンに来た。「アルカンターラ・フェスティバル」参加のため。陽光が明るくて一発で感動したけど、昼間それに当たってたら疲れた。道で偶然、きのうまでフェスティバルで「H3」を公演していたブルーノ・ベルトラオと会った。午後二時にホテル戻ったら九時まで寝てしまった。
きのうは案の定オールナイトだった。フェスティバルの最後を楽しい気分で過ごせて素朴に嬉しい。きのう見たマリアーノ・ペンソッティはすっごくよかった。「過去とはグロテスクな動物だ」というタイトル。「ラ・マレア」見たときも思ったけど、彼はまなざしが優しい(僕と違って。。) 彼のと僕のとをはしごで見たお客さんもきのうは多かったと思う。楽しんでくれたと思う。 とは言っても、言葉がわからないからストーリーは把握していないのだ。しかし、にもかかわらずそんなふうに感じられているということは信じられていい。戯曲をもらったので、ツアー中に読んで、これからストーリーは把握しようと思う。 # by chelfitsch | 2010-05-31 07:40
2010年 05月 29日
ブリュッセルでも昼は小説を書き夜はチェルフィッチュの本番を見るというユニバーサル(どこにいても同じじゃん、という意味)な生活を基本的には送っている。
今週のフェスティバル演目はエンリケ・ディアスとかマリアーノ・ペンソッティとか日本にも来たことある人たちのものが多くて、きのうはエンリケ・ディアスのを見た。「かもめ ザ・プレイ」のときも思ったけど、相変わらず道具の使い方がかっこいい。ザ・心憎い。これ六月の終わりに静岡で見られます。 ここ 今日はフェスティバル最終日。僕らの千秋楽は20時30分からなので、その前に今夜は18時からのマリアーノ・ペンソッティを見に行こうと思ってる。 あしたリスボンに移動。出発がすごく早朝。それに今夜はクロージングパーティーに出るべきだろうから、下手すると寝られない可能性大。 # by chelfitsch | 2010-05-29 15:43
2010年 05月 27日
5月19日に東京公演が無事終わり、22日からブリュッセルにいます。で、「ホットペッパー、、」二ステージ終わりました。
いろいろな場所で上演することの絶対的な利点があります。作品って誰かに読まれたり、どこかで上演されたりするのだけど、それは受け手が属している/立脚しているあるコンテクスト(ひとつの、とは限らない。同時に複数の、ということもあるでしょう)の中におかれるということで、そのうえでおもしろいとかおもしろくないとか思われます。 でも、当たり前のことだけど大切なこと、というのがあって、それは、世の中には複数のコンテクストがあるということ。それを実感できる機会があるのはいいことです。利点とは、そのことです。そこから人は、コンテクストにおもねるように作ることに意味がないと感じたり、おもねるというのとは違う意識の仕方を自分が関係するそれぞれのコンテクストに対してしたり、個別に応答していくでしょう。 あるコンテキスト、たとえば日本のコンテクスト(といってもほんとを言えばそれさえ一つじゃない)と、いい感じの関係を結果的に築ければ、それは幸せなことです。この幸せは、追い求めるべきものではなく、うまくするともらえるときがあるボーナスみたいなもの。 僕がテキストを、阿部伸二さんが絵を担当して作った紙芝居の様子がyoutube で見れます。 ここ # by chelfitsch | 2010-05-27 17:00
2010年 05月 19日
あと一ステージで「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」の東京公演も終わります。
打ち上げは普通にモツ鍋屋さんの予定。 それはそうと。 下記エントリにも書いたシンポジウムの映像ちょっと見て(全部は見てない)思ったこと。 演劇の本質とか力とか意義とか、それが開かれているかとか、について、外部に対して(内部に対してではなくて!)説得力のある言葉なり実践なりで、誰かが示したり証明したりしないといけないわけで。でも、「誰か」なんて悠長なことは、もうあんまり言ってられなくて、もうこれは、作り手自身がとりあえずそれを自分なりの仕方でできないといけない。 わたしたち作り手はもう、それを誰か他の人(作り手でない人)に頼っちゃだめだと思う。 なぜなら、頼れる現状があればまだしも、ないわけだからそれは。 (なんだか九条反対と同じロジックのような気がして、げんなりではある。) 若い演劇作家の人たちにこれは言いたい。そんな人は、残念ながら、いません! いるとしたら、それは演劇の世界の外部にいたりするかもしれない。でも、もしそうだとしたら、演劇を批判する人も外部にいて、演劇を擁護できる人も外部にいて、それじゃあ内部はいったい、何を? という感じだけれども。 なんでいないのかなあ? そういう人、内部に。いるはずだけどなあ。いてもいいのになあ。出てきてよ。頑張ってよ誰か。頼みますよ。 これって、演劇がパブリックであるということを定義づける力さえ、演劇の内部にはないのかもしれないってことであって、それ今後的に言って、相当まずいよ。 # by chelfitsch | 2010-05-19 02:54
2010年 05月 11日
「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」という芝居を今上演中なんですけれども、評判がいつもより俄然いいみたい。
僕としては嬉しい半面、しかし釈然としなかったりもして、こないだ、見に来てくれた友達とか公演のメンバーとかとしゃべってたとき 「『わたしたちは無傷な別人であるのか?』より今回は全然評判がいい、それは気に入らない。どっちも同じくらい気に入られたい」とだだこねたら、 「だって今回のはわかりやすいからしょうがないだろ」的にたしなめられた。 「じゃあ、もうこういうわかりやすい系はあと数年作らない」と言ったら、 「どんだけひねくれてんだよ!」と言われた。 チェルフィッチュはいつもは退屈だけど今回は飽きなかった、的な意見も多いみたい。それはほめ言葉なのかな? 正直微妙だ。退屈、というのはものすごく大事なファクターなんだということは言っておきたい。 でも今回のも、一生懸命作りました。見てくださいね。 ところで、初日の公演を見に来てくれた人々の中で、そのあとの飲み会(僕はそこにはいませんでした。今、そんな場合じゃないので。。)で盛り上がってくれた人がいるみたいで、なんだかその流れで、14日金曜日の22時から、原宿のvacantで現代の表現と社会との関係を考える(その1)~『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』公演の最中に~という緊急シンポジウムが行われることになったようで(僕は参加しません。今、そんな場合じゃないので。。)そういうの、すごくおもしろいよね。 # by chelfitsch | 2010-05-11 08:08
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